【タロットカード】明智光秀をタロットで読み解く 10

【タロットカード】明智光秀をタロットで読み解く 10

秀吉に敗れた背景―――女帝・逆位置

【タロットカード】明智光秀をタロットで読み解く 10

さすがの信長も、重臣筆頭格である光秀の謀反は予見できず、本能寺で少数の兵とともに討ち果たされました。

同じく京都にいた後継者の長男も、光秀の軍によって倒されます。
こうして、信長による統一が間近だったはずの日本は、ふたたび大混乱へとおちいりました。

なにしろ天下人の信長はもちろん、その後継者だった長男まで討たれたのですから、織田家の統率者がだれだか分からないという状態になりました。

さらには、信長の命令で各地へ遠征していた重臣たちも危機におちいります。
信長の死が伝われば、敵が勢いに乗って攻めかかってくる可能性が高いからです。

光秀は知力に優れた武将ですから、当然ながらこうした展開を見越して本能寺の変を起こしたわけです。

信長死後の織田家はまとまらず、大軍団を率いている他の重臣たちも身動きが取れない……つまり、有力者のだれもが光秀に手を出せない状況ができあがったのです。

織田家や他の重臣たちが動けない間に、京都を中心とする近畿一帯を勢力下とできれば、光秀が信長に代わって天下人となるのも夢ではありませんでした。

しかし……現実には、光秀が天下人となることはありませんでした。

皆さんご存知のとおり、中国地方に遠征していた羽柴(豊臣)秀吉が猛スピードで引き返してきて、光秀はあっけなく討たれてしまったからです。

信長に代わって天下人となったのは、光秀ではなく秀吉でした。

本能寺の変後、光秀は敵対する有力者が身動きできない状況を作り出し、きわめて有利な立場になったはずでした。

にもかかわらず、秀吉にあっけなく敗れた背景には、何があったのでしょうか?
タロットに尋ねたところ……「女帝」の逆位置が導かれました。

「堕落」「虚栄」「傲慢」「怠惰」といった内容の象徴です。
あるいは「停滞」「浪費」「優柔不断」と読み解くこともあります。

いずれにせよ、いい暗示ではありません。
知力に優れていたはずの光秀が、どうしてこのような世界におちいってしまったのでしょうか?

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的外れな戦略で、時間を浪費

思うに、本能寺の変で主君信長を討ち果たしたとき、光秀の武将としての磁場も狂ってしまったのかもしれません。

彼は本能寺の後も決して遊んでいたわけではなく、できる範囲の仕事を着々と進めています。
しかし、それがことごとく的外れだったり、思うようにいかなかったりしたのです。

京都で信長を討った光秀は、次に近江(滋賀県)の制圧を目指しました。
近江は京都の東における交通の要衝であり、北陸・中部・東海方面とつながっています。

光秀はこの近江を押さえることで、自分の勢力の基盤を固めようとしたのでしょう。

特に、北陸には信長重臣の筆頭格・柴田勝家が遠征しています。

柴田が北陸から戻って攻めてくることを考えると、北陸につながる近江を押さえておくことは必要不可欠でした。

あるいは光秀は、当面の敵を柴田だと考えていたのかもしれません。

ところが……実際に光秀に襲い掛かってきたのは、北陸の柴田ではなく、中国地方にいた秀吉だったのです。

光秀は肝心なところで状況を見誤り、時間を「浪費」した挙句、自らの勢いを「停滞」させてしまったのです。

予定を狂わせた、光秀のうぬぼれ

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出典:ashinari.com

もちろん光秀としても、秀吉がいる西側への対策は考えていました。
特に重要だったのは、摂津(今の大阪府北部を中心とする地域)の武将たちの動向でした。

もし秀吉が中国地方から戻ってくる場合、摂津の武将たちが秀吉につけば、一気に京都へ攻め込んできてしまいます(摂津は中国地方から京都への通り道にあたるからです)。

もっとも、光秀は摂津の武将たちの取り込みに、ある程度の自信はあったのかもしれません。

信長の時代、光秀は大きな仕事を任せられていたため、摂津の武将の多くを預けられ、自分の指揮下においていたからです。

彼らはあくまで信長の家臣であり、光秀との主従関係はありませんでしたが、ともに戦ってきた同志として、光秀はあてにしていたのでしょう。

ところが結果的には、この摂津の武将たちがことごとく秀吉に味方してしまったのです。
これでは秀吉が引き返してきたとき、一気に京都を攻められてしまいます。

それだけではありません。
かつて光秀の指揮下にあった武将の多くが、光秀に背を向けてしまいました。

細川藤孝(ほそかわふじたか)や筒井順慶(つついじゅんけい)など、畿内で一定の勢力を持つ有力武将たちが、光秀の協力要請を断ってきたのです。

本能寺の後の光秀は、味方としてあてにした武将たちに、ことごとく背かれてしまいました。
光秀ほどの知恵者に、どうしてこのような誤算が生じてしまったのでしょうか?

原因の根っこにあるのは、彼の「傲慢」な心―――すなわち「うぬぼれ」だったのかもしれません。

光秀は、信長時代に自分の指揮下においていた武将たちが、本能寺の変後も自分に従ってくれると錯覚していました。

しかし彼らはあくまで信長の家臣であり、信長の命令によって光秀に従っていたにすぎません。

つまり光秀指揮下の武将たちは、信長の家臣として仕事をこなしていただけであり、決して光秀に心服していたわけではなかったのです。

つまり、光秀の司令官としての地位も、率いてきた大軍団も、信長の存在あってのものでした。

自らの権力の源泉であった信長を討ってしまったとき、光秀の運命もまた決まっていたのだと言えるでしょう。

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