【タロットカード】明智光秀をタロットで読み解く 4

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丹波平定―――吊られた男・正位置

【タロットカード】明智光秀をタロットで読み解く 4

光秀の織田家重臣としてのハイライトが、「丹波の平定」です。

丹波は京都の北西部にあたる要地でありながら、織田氏に従わない豪族も多く、信長は勢力圏に組み込めないでいました。

京に近く、中国方面へとつながる丹波の攻略は、信長にとって必要不可欠な大事業です。
この重要なプロジェクトの責任者として、信長は光秀に白羽の矢を立てました。

最も有能な武将のひとりである光秀を、信長がわざわざ指名するのですから、丹波の平定はそれだけの難事業でもありました。

理由はいくつかありますが、何と言っても地元豪族の独立心が強い点がやっかいでした。
丹波の豪族は、たとえ信長相手でも簡単には従わなかったのです。

こうなれば、戦争で力の差を分からせるしかありません。
光秀は大軍を率いて丹波に攻め込みます。

もちろん、織田家随一の知恵者である彼は、事前に周到な準備を済ませていました。
現地の有力豪族の何人かを口説いて、あらかじめ味方につけておいたのです。

こうなれば、光秀軍の勢力が圧倒的に有利となるため、丹波をすぐに攻略できそうに思われました。
ところが、事態はそう簡単には動きません。

なんと、あらかじめ味方につけておいたはずの現地豪族が、途中で光秀を裏切り、攻めかかってきたのです。

いくら知恵者の光秀といえど、味方と思った相手から攻撃されてはどうにもなりません。
結局、彼の軍勢は大きな損害を受けて、退却を余儀なくされたのです。

このように、現地勢力の頑強な抵抗によって、丹波平定は難航しました。

さらに光秀にとって困難だったのは、丹波攻めと並行して、他の地域への出兵も命じられていたことです。

現在の大阪、和歌山、兵庫など、各地の戦争で光秀の力が必要とされたのです。

もちろん、信長はそれだけ光秀の力量を買っていたわけですが、丹波攻略のうえに他の仕事まで命じられたのですから、光秀の仕事の難しさは並大抵ではありませんでした。

それでも光秀は、あきらめることなく創意工夫を重ねます。
そして着手から5年後の1579年、ついに丹波の平定を成し遂げたのです。

この丹波の平定において、光秀は胸中で何を想っていたのでしょうか?

タロットに尋ねたところ……「吊られた男」の正位置が導かれました。
「忍耐」「努力」そして「奉仕」の暗示です。

出典(TOP画像):Illust AC

出典(2枚目画像):ashinari.com

光秀は信長への忠誠心にあふれていた

この暗示に、筆者は光秀の想いをしみじみと感じました。
当時の織田家において、最も多くの難しい仕事をこなしていたのは、間違いなく光秀でした。

頑強に抵抗する丹波豪族との戦いは、熾烈を極めるものでした。
しかも光秀はそれと並行して、しばしば各地の合戦へも出兵していたのです。

もしあなたの周りに戦国時代に詳しい人がいたら、この時期の光秀の働きについて聞いてみてください。彼に課せられた仕事がいかに大変なものか、詳しく語ってくれることでしょう。

そんな多忙な日々の中でも、光秀は忍耐に忍耐を重ね、信長への奉仕をつらぬきました。
そして5年という時を経て、見事に丹波平定の大事業を成し遂げたのです。

なぜ光秀は、かくも難しい仕事を成し遂げられたのか?
もちろん、彼が優秀だったからであるのは、言うまでもありません。

しかしただ優秀なだけでは、これだけの困難な仕事に耐えることはできないはずです。
きびしい戦いの中で、何が彼の支えとなったのかは、吊られた男の正位置が示しています。

それは「奉仕の精神」です。
光秀は信長への忠誠心にあふれ、信長への奉仕を自らの使命としていた―――

だからこそ、丹波平定と各地の軍役を、ともに成功させることができたのです。

後に「本能寺の変」を起こした光秀は、「反逆者」の汚名を着てしまい、「恩知らず」の代表格のように語られています。

しかし丹波を平定する時点では、彼の心はただただ信長への忠誠にあふれていたのです。

「石ころのような私を、信長公が引き立ててくださった」

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出典:ashinari.com

タロット占いを通してこんな事を言うと、いい加減な話だと思われてしまうかもしれません。
しかし、反逆者・光秀の「忠誠心」を示す記録も残っているのです。

彼は自分の一族と家臣に対し、こう言い聞かせていたといいます。

「自分は石ころ同然の身から信長公にお引き立ていただき、過分の御恩をいただいた。
我が一族家臣は、子孫に至るまで織田家への御奉公を忘れてはならない」

光秀の切実な想いが、胸に迫ってきそうな言葉です。

彼は不遇だった若き日の自分が「石ころ」だったと言います。

才能を生かすことも、天下に名を挙げることもかなわない自分は、石ころと何も変わらないほどみじめだった―――若き日の悔しさが、言葉からにじみ出ています。

その「石ころ」であった自分を、信長が拾い上げてくれた……これほどに忠誠心あふれる言葉が、他のどこにあるのでしょうか。

光秀はまぎれもなく「信長の忠臣」であり、身を粉にしてでも信長に奉仕せんとしていたに違いないのです。

信長は光秀の力量を認め、大きな仕事を与えて引き立ててきた……。
光秀は信長による引き立てに恩義を感じ、奉仕の精神で満ちあふれていた……。

こんな理想的な主従の運命が、どこでどのように狂い、本能寺へと導かれてしまったのか?
次回以降、さらに光秀の心を、タロットで探ってみたいと思います。

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