スピリチュアルペイン、すなわち魂の痛みとはどういうものでしょうか。主に医療の分野で注目されていますが、今はまだ健康な人でも、目をそらせない何かが放たれている主題です。
スピリチュアルペインとは、例えば末期がんの患者さんが迫る命の終わりを前にして、自分の人生に意味はあるのかと悩み、あるいは取り返しのつかない後悔の念に苛まれるなど、非常に重く、解決の難しい痛みを指します。
このどうにも取り除きがたい痛みは、病気だけを根源にはできません。私たちの人生そのものと深く関わってきます。向き合う術はあるのか見てまいりましょう。
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トータルペイン”全人的苦痛”で捉える視点を持つ
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人が病に冒されたとき、吐き気・息苦しさ・倦怠感などといった具合に、さまざまな身体症状があらわれます。
このような身体的苦痛のみならず、心理的、社会的、精神的な側面も含めた痛みの全体像を捉えて「トータルペイン」と呼ばれることがあります。
トータルペインには、以下の「4つの側面」が存在します。
1.身体的苦痛
病を根源とする身体の辛さを指します。吐き気、息苦しさ、倦怠感などの身体症状や日常生活動作の低下も入ります。
2.精神的苦痛
気持ちがネガティブになり、不安感に苛まれる。何も手につかなくなる。憂鬱な気分がつづくなど。また孤独を感じるなどもこの範疇に入ります。
3.社会的苦痛
病気の治療や症状が仕事に影響を与えたり、病気のことを職場にどのように伝えたらいいか悩むなど、主に仕事上の問題として生じる苦痛のことを指します。
労働への制限から経済的な問題として表れたり、思うように家事や育児ができないという形で表出することもあります。
4.スピリチュアルペイン
病気と相対したとき、「どうして自分ばかりがこんな目に会うのか」「なぜこれほど苦しみを味わわねばならないのか」「生きることに意味や目的はあるのか」など、自分自身と向き合い、現状に強い反感を覚えたり、人生の意味を考えてしまう状態に陥ることがよくあります。
自分の存在意義を疑い、自己肯定感、自己効力感、自尊心などが低下していきます。人間の根源的部分と関わるので、「なぜ自分ばかりがこんなことに」という不公平感や、「家族や職場の重荷になりたくない」という無価値感、あるいは「ばちが当たったのだ」という罪の意識は、非常に大きく深いものになってしまう場合があります。
スピリチュアルペインにどう向き合えばいいのか
結論からいうと答えはありません。緩和ケア病棟などで患者さんが「昨日はトイレに一人で行けたのに、今日は看護師の支えがなければ行けなかった。こんなはずじゃなかった。」と言ったとしたら、そこに安易な励ましや、気休めの癒し言葉はかけられません。
スピリチュアルペインの傍らに佇む
スピリチュアルペインは、全ての人間が持っている共通の苦悩です。患者さんに対してできることがあるとしたら、一緒に苦悩することしかありません。つまり苦悩の共有です。
病気のことをわかったふりをするのではなく、その辛さをわかろう、理解しようとする姿勢が当事者を癒します。スピリチユアルペインの前では、患者のみならず、周囲の人間も真の姿を見せるといえるでしょう。
「終活」に勤しむ人たち
少し前までの日本でよく見られた親子三世代同居の家庭はもはや少数派です。例えばおじいさんが亡くなる時、子や孫たち家族に看取られる姿は、昔の日本では普通でした。
亡くなれば子孫に弔われて供養されるという行為が、死にゆく者へ安らぎを与えていたと言えるでしょう。
従来の死の受容システムが崩壊した今、台頭してきたのが「終活」です。人生の終わりをまだ生きているうちに準備することが「終活」ですが、なかには30代の人にまでも広がりを見せています。
軌を一にするように樹木葬が注目されています。生前から活動し、亡くなればお隣どうしになる「墓友」が死への恐怖を和らげる。つまり、ここではスピリチュアルケアとしての役割を担っているといえるでしょう。
最後に
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樹木葬の「墓友」に見られるような「終活」は、生の終わりを積極的に捉えようとする試みとして考えられます。
有効なスピリチュアルケアのひとつかもしれませんが、万能ではありません。スピリチュアルペインの中身は個々人で異なるからです。スピリチュアルペインと向き合うには、オーダーメイドの精神が求められます。
宗教が果たす役目も重要になってくるでしょう。お葬式をあげることが仕事ではなく、もっと積極的に現場へ出ていくアウトリーチの姿勢が必要です。
ターミナルケアの医療現場だけに、スピリチュアルペインを閉じ込めておくことは不可能です。もっと日向にスピリチュアルペインを出す時が来つつあるのかもしれません。
お坊さん、牧師さん、ヒーラー、様々な立場の人がスピリチュアルペインに関わっていくことが求められています。広く意識がいきわたることで、新たな死の受容スタイルが姿をみせてくるでしょう。