前回、劉備と諸葛孔明の関係について占ったところ、恋人の逆位置が導かれました。
これはとてもおかしな暗示だといえます。
なぜなら恋人の逆位置は、「浮気」「誘惑」あるいは「不道徳」といった内容が象徴されているからです。
三国志をお読みになった方は、流浪の人生を送ってきた劉備が、孔明との出会いで飛躍のチャンスをつかんだことはご存知でしょう。
いわば劉備軍団の救世主とも言うべき孔明に、そんなネガティヴな暗示が導かれることは、不可解と言わざるを得ません。
それでも……筆者はこの暗示が、劉備と諸葛孔明の関係性について、一面の真実を解き明かしているのだと感じました。
いまからその理由を、孔明の歩みと合わせてご説明しましょう。
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劉備と孔明の関係 1.浮気?
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まず、恋人の逆位置が示している内容に「浮気」があります。
まさに「なんだこりゃ?」というべき暗示です。
そもそも劉備と孔明は男性同志ですし、彼らが同性を好んだという記録もありません。
いったいこれはなにを示しているのでしょうか?
思うにこの暗示は、劉備が孔明という救世主にぞっこんになったことを示しているのだと思います。
それまでの劉備軍団は、関羽・張飛といった戦いに強い豪傑たちが中心でした。
ところが孔明というエリート層に属する人物を新たに招くにあたり、劉備は常識では考えられない行動に出ます。それが世にいう「三顧の礼」です。
ここまで負け戦の多い劉備ですが、彼とて世間に名を知られた群雄のひとりです。
普通であれば、在野の若者など自分の城に呼び出せば済む話でしょう。
ところが劉備は、孔明という偉才を招くために、あえて自ら孔明のもとをたずねたのです。
しかも、三度も!
この熱意に負けたのか、あるいは劉備の人物に感じるものがあったのか、孔明は劉備に仕えることとなりました。
こうして三顧の礼という言葉は、必要な相手であれば三度たずねてでも誠意を示すべしという教訓として、現代まで語り継がれているのです。
さて、タロットの暗示に話を戻しましょう。
劉備が孔明にのめり込んだことで、面白くなかった人たちがいます。
それは関羽・張飛といった昔からの家臣です。
劉備が孔明を片時もはなさず語り続けるのを見て、これまで命がけで劉備を支えてきた家臣たちは不快に思ったというのです。
「俺たちのこれまでの戦いはなんだったんだ?」という気持ちになったのでしょう。
恋人の逆位置が象徴する「浮気」は、このことを示しているのだと思います。
劉備は孔明にのめり込むあまり、古参の武将である関羽・張飛を差し置いて「浮気」してしまったのです。
これは場合によっては劉備軍団に亀裂が入りかねない事態でもあります。
歴史上、君主の寵愛の移り変わりや、家臣同士のジェラシーによって、組織が分裂してしまったことはいくらでもあるのです。
しかしこの“浮気”について、劉備は関羽・張飛にこう語ったといいます。
「私にとっての孔明の存在は、魚が水を得たようなものなのだ。どうか許してくれ」
そう。
劉備は自らが魚であるなら、孔明は魚に生きる道を与えてくれる水だとまで言ったのです(これまた「水魚の交わり」という言葉で、現代まで伝えられています)。
さすがにここまで言われては、関羽・張飛も引き下がるしかなかったのでしょう。
劉備と孔明の「ラヴラヴな関係」を認めたといいます。
劉備と孔明の関係 2.不道徳?
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恋人の逆位置の「不道徳」という暗示もまた、不可解です。
一般的なイメージでは劉備も孔明も「善人」であり「立派な人格者」のはずです。
特に孔明などは小説「三国志演義」で聖者のように書かれています。
そんな彼らの関係について「不道徳」という暗示が出るのは、首を傾げてしまうところですよね。
しかし意外なことに、孔明は劉備に仕えて以降、「非道徳的」なやり方をさかんにすすめているのです。
その非道なプランこそが、世に名高い「天下三分の計」でした。
中国の北部を支配する曹操、南東部に領土を持つ孫権に対抗し、三大勢力のひとつとなって対抗すべき……という、スケールの大きな戦略です。
孔明の名声とともに、後世まで語り継がれるこの戦略が、なぜ非道徳的だったのか?
それは「自分の勢力を広げるためなら、他人の国を片っ端から奪ってしまえ」というプランだからです。
先にも述べたように、劉備は宿敵・曹操の支配する中国北部から南へ逃げ、長江の中流域にある荊州(けいしゅう)で孔明と出会いました。
孔明は劉備に、まずこの荊州を奪って領土にしろとすすめます。
しかし劉備は首をタテに振りませんでした。
曹操に敗れて逃げてきた劉備は、荊州のトップに受け入れてもらった身であり、恩をアダで返すことはできないと考えたのです。
そこで孔明は、もうひとつの非道徳的なプランを提示します。それは荊州の西にある蜀(しょく/注)という場所を、乗っ取ってしまえとすすめたのです。
(注)蜀……現在の四川省を指す地名で、後漢末には益州とも呼ばれた。劉備が後に蜀漢を建国したとき、その中心地となる。
このように、孔明という人は聖人のようでいて、実は劉備に非道徳的なことをたくさんすすめていたのですね。
このとんでもない味方を得て、劉備の運命がどう変わっていくのか―――その顛末は改めてお話ししたいと思います。
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