【タロットカード】明智光秀をタロットで読み解く 8

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日本史最大のナゾ―――本能寺の変

【タロットカード】明智光秀をタロットで読み解く 8

それでは改めて、光秀が本能寺の変を起こした背景について見ていきましょう。

そもそも本能寺の変のきっかけについては、歴史専門家の間でも意見が分かれており、いくつかの説に分かれています。

古くからの主な説としては、「野望説」「怨恨説」「不安説」「正義説」「黒幕説」さらには「ノイローゼ説」というものまであります。

光秀の謀反(むほん)は、歴史学者の間でも意見の統一を見ない、極めて謎に満ちたものだったのです。

当記事は占いサイトの読み物なので、あまり長々と歴史の話はできませんが、簡単にご紹介しておきましょう。

「野望説」……信長に代わって天下を獲ろうという、野望が動機とする説。
「怨恨説」……信長の仕打ちに対し、非常な恨みを持ったためとする説。
「不安説」……信長政権下での将来を悲観し、打倒信長を決意したとする説。
「正義説」……信長の乱暴な政治を終わらせ、自ら良き世の中を作ろうとしたとする説。
「黒幕説」……影の大物に操られたという説(朝廷や、元将軍の足利義昭などが黒幕とされる)
「ノイローゼ説」……長年のハードワークで精神を病み、自暴自棄な暴挙に出たとする説。

なんと専門家の間でも、これだけ多くの意見が交わされているのです。
本能寺の変が、日本史における最大のミステリーと言われるのも、納得ですよね。

出典(TOP画像):pixabay

出典(2枚目の画像):ashinari.com

本能寺の変の背景―――世界・逆位置

それでは(本題に戻り)タロットで本能寺の変の背景を探ってみたいと思います。
タロットに尋ねたところ……「世界」の逆位置が導かれました。

これは未完成、未完全、限界点、調和の崩壊……といった内容の暗示です。

この暗示に、筆者は「なるほど」と感じてしまいました。

光秀と信長の抱えていたすべてのものが未完成のまま、二人の関係がある種の限界点を超えてしまった……そのことが、本能寺の変への扉を開いたと読み解けるのです。

具体的に、本能寺の変前の信長と光秀について、数年ほど流れを見ていきましょう。

1579年、光秀は京都に近い要地である丹波(京都の西方)・丹後(今の京都府北部)の平定に成功します。

彼はこの一代プロジェクトを進めつつ、信長の命令で各地の戦争にも出兵を強いられるという、とても難しい立場で仕事をこなしてきました。

その厳しい条件のもと、見事にミッションを達成し、信長の期待にこたえたわけです。
信長は光秀の働きを絶賛し、翌年(1580年)にこの丹波を光秀の領地として与えました。

そして他の武将に宛てた手紙の中で、光秀についてこう書き記しています。
「丹波国における明智光秀の働きは目覚しく、天下に面目をほどこした(注)」

あの厳しいイメージの信長が、部下の仕事ぶりについてここまで絶賛するのですから、並大抵の評価ではありません。

光秀の丹波拝領は、本能寺の変からわずか2年前のことです。
しかしここまで、信長との君臣関係は理想的といっていいほど上手くいっています。

重臣である光秀が、難しい仕事を粘り強く成しとげ、主君・信長はそれを大いに賞しているのです。

(注)面目をほどこす……名誉を保つ、名誉を高めるという意味。

その後、1581年(本能寺の変の1年前)には、光秀が自分の一族と家臣に対し、こう言い聞かせています。

「自分は石ころ同然の身から信長公にお引き立ていただき、過分の御恩をいただいた。
我が一族家臣は、子孫に至るまで織田家への御奉公を忘れてはならない」

この言葉は、本能寺の変のたった1年前に記されたものです。
光秀が自分の一族や家臣に向けたものなので、信長に対しておべっかを使う必要はありません。

彼の本音が現れていると見て、差し支えないでしょう。

その言葉からも、真面目な働き振りからも、光秀は忠誠心を持って信長に仕え、全身全霊をかけて働いてきたことが伝わってくるのです。

光秀を絶望させた? 信長の政策転換

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出典:ashinari.com

このように、信長と理想的な関係にあったと思われる光秀ですが、この時期には彼の立場を揺るがす重大な事態が進行していました。

それは―――先の回でもお話しましたが―――信長の四国政策の変更でした。
これは織田家における光秀の立場を、深刻に揺るがすものだったのです。

繰り返しになるので、簡単におさらいしておくと……

信長は当初、四国の有力大名である長宗我部(ちょうそかべ)氏と友好関係を結び、協力して四国を治めて行こうとしていました。

信長は重要な仕事とくれば光秀に任せたくなるようで、光秀はこの長宗我部氏との外交担当者に任ぜられたのです。

光秀の仕事はここでも順調に進み、信長と長宗我部氏の関係は上手く行っていました。
ところが、信長は次第に長宗我部氏への態度を変え、四国へのアプローチも変更するようになります。

長宗我部氏を力で封じ込める方針に転換し、それを徐々に実行に移し始めたのです。
これによって、織田家における光秀の立場は、とても厳しいものになってしまいました。

信長の政策転換が、光秀をどう追いつめてしまったのかは、次回詳しくお話します。

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