シンクロニシティと出会ったときの意味とは?

シンクロニシティと出会ったときの意味とは?

 映画「フォーカス」で興味深いシーンがある。
大地主に莫大な金額をかけた”賭け”を挑む。
総勢46人のアメフト選手の中で、次に得点を入れる人物を一人だけ選び、当たれば勝ちという内容だ。

大地主は、目についた選手に賭け、見事当ててみせた。
有りえない出来事に、周囲は騒然とするが、主人公は後にネタバレをする。

実は、前日から、その選手を選ぶように仕掛けをしておいたのだ。
通りがかる壁紙の模様、オブジェの数など、なにからなにまで、その数字を散りばめ、印象付けた。

運命的な数字だと認識させるためだ。
数回別の賭けを持ち込み、わざと勝たせノリに乗っていると意図的に錯覚を起こさせるのだ。

これはまさに「シンクロニシティ」を応用した技だと言える。

このように、強い思い込みは、強い意志をもたせる。
目の前で起こる重なる偶然に歓喜、あるいは恐怖を感じたことはないだろうか。
それを起こさせるシンクロニシティとは、どういったものなのかご紹介します。

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シンクロニシティとは

シンクロニシティ

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 用語の説明として、学術的見解を述べるのであれば、「心理学者ユング」に関するお話をしなければなりません。

シンクロニシティは、厳密には「非因果的連関の原理」と位置付けられている現象で、小難しい名前がつけられていますが、要するに、本来、因果関係のない物事が連関している、つまりは互いに関わり合いがあるかのように感じられるという内容です。

草履の鼻緒が切れた次の瞬間、ハチに刺された、そんな不幸が続けば、両者に因果関係はないはずなのに、自分の行為に何か間違いがあったのでは、その罰なのでは?なんていう思考にまで発展してしまいます。

また、冒頭の映画のシーンのように、前日まで目に入った物の数が、全て一致していたらどうでしょう。これはなにか「とてつもない大きな力が働いている」と感じます。

このように知覚されることから、ユングが唱えるシンクロニシティとは、「宇宙全体規模のエネルギーのようなもの」「世界のあらゆるものは一つに繋がっている」という思想が基盤としてあるのです。

シンクロニシティはなぜ起きるのか

シンクロニシティ

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 ユングの言うような、“宇宙全体の繋がり”、偶然の連続を科学的に証明することは難しいでしょう。だとしたら、なぜ起きるのかという答えには、少し捻った考え方が必要になります。

「起こった」ことを証明するのではなく、自分自身が「起こった」ということを『知覚する、認知する、意識する』からこそ、こうした一つ一つの出来事を関連したものとして、受け入れることができるのではないでしょうか。

“感じること(感知)”こそが、シンクロニシティを生み出すのです。
その知覚、感知における重要なキーワードとして『集合無意識』というものがあります。

分析心理学の用語の一つですが、簡単に説明しますと、「個人の経験を越えた普遍的な意識」、例としてあげると、民族性や所属する集団、はたまた人類そのものがもつ意識を指すものです。

社会現象を巻き起こした人気アニメ「コードギアス」では、この『集合無意識』そのものを『神』と呼び、これに刺激を与えることで、全ての人間の感情をむき出しにしようと試みるといった展開がありました。

誰しも、「仮面(ペルソナ)」を持っていて、それは感情を隠すため、その集団に馴染むためと理由は様々です。
人の中の深層に組み込まれたものであり、これがあることによって、個々ではなく、それらの繋がりを感知する、それによりシンクロニシティが生まれるのではないか、というのがユングの提唱です。

なんだか壮大で込み入った説明をしていますが、偶然の連なりは、みんなが繋がっているからだよというお話です。

シンクロニシティに出会ったら

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 もし不思議なことに、いいことが続いたら皆様はどうしますか?
つい人に話しちゃいますよね。
それでいいのです。

記憶すること、記録することで気分が好調し、普段より良い成績も残せるかもしれません。
病は気からというように、良い行いも気からなのです。
逆も叱りです。

失敗続き、トラブル続きとなってしまった場合は、周囲にもっと気を配り、そして目を向けてみましょう。
「知覚すること、意識すること」が重要なのです。

良い例として、日記をつけてみましょう。
日記はその時の現象も、感情も言葉として残すことができますので、好調だった頃を思い起こせば、運気も上がるかもしれません。

まとめ

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 「有りえないことが起きた、神のお告げに違いない」、「虫の知らせ」、「ファラオの呪い」…普段の状態からは想像できないことが起こった時、人々は『自分では計り知れない大きな意志が働いている』と思いがちです。

そこに運命を感じ、宿命を背負い、使命感を受け、そういった必然的な要素を考えざるを得なくなります。

しかし、“知覚する人がいなければ”それは“ただの出来事”でしかありません。
不思議なことが起こるのは、自分が存在しているからこそ。

自分の感じたことに意味をもたそうとして、行動を起こしていくものです。
意識とは、かくも不思議なもので、自分だけのものであるかに見せて、人に惑わされたり、操られたり、と安易に崩れることもあります。

そんなとき、前述の通り、日記など記録するものがあれば、それに抗うことができるかもしれません。
明日から周囲に気を配り、「シンクロニシティ」を体験してみてはいかがでしょうか。