【タロットカード】劉備をタロットで読み解く 8

劉備は曹操をうらやんでいた

前回、「劉備にとって、曹操はどんな存在だったか」というテーマでタロットを切り、女帝の正位置が導かれたところまでお話ししました。

曹操のイメージからすると意外なカードですが、女帝の正位置は「繁栄」の象徴であり、「才知による成功」「文化的感性」を暗示しています。

「繁栄」「才覚」「文化」―――この三点に関して、曹操が劉備より優れていたところを、具体的に見ていきましょう。

まず「繁栄」という面から見ると、両者の差は明らかです。

当時の曹操は後漢の皇帝を保護し、群雄の第一人者となりつつありました。対する劉備は領土すら失ってしまい、曹操のもとへ逃げ込んできたところでした。

両者の差は、あまりにも大きかったのです。
「才覚」においても、曹操は劉備のはるか先を進んでいました。

後漢皇帝を保護し、大義名分を手にしたことからも、その戦略が的確であることが分かります。
さらには農業においても曹操は優れた政策を行いました。

戦乱で行き場をなくした人々に土地を貸し与え、耕作ができるようにしたのです。

これによって民衆は自分の食糧をまかなえ、曹操政権も彼らから年貢を徴収できたため、官民双方に大きなプラスをもたらしました。

さらに曹操は、「文化」の面でも特筆すべき業績を挙げました。
彼は歴史に名を残す政治家・軍人であるとともに、優れた詩人でもあったのです。

曹操は大きな戦争に出陣するたびに、厳しい戦いを題材として詩を詠みました。
だからこそ彼の作品は、リアリティと哀愁を感じさせる名詩が多いのです。

このように見てくると、曹操という男はもはや天才としか言いようがありません。
あらゆる分野において、彼は冴え渡る知性と感性で実績を残してきたのです。

タロットの暗示に話を戻すと……

劉備は自分よりはるかに優れた曹操を強く意識し、ある意味でうらやんでいたと考えられます。
それでも劉備は曹操相手に負けを認め、降参することはなかったのです。

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人間としてタイプがちがった

曹操の圧倒的力量を認め、その成功をうらやましく思いながらも、劉備は決して曹操のもとで人生を終える気はありませんでした。

その理由として、ひとつには劉備が大きな志を抱いており、独立心旺盛だったことがあるでしょう。
しかし、劉備が曹操に反発した背景には、もうひとつの重要な理由があると思われます。

それは、ふたりが人間としてタイプがちがいすぎたことです。

曹操は同時代の群雄のなかでは高い家柄ではないのですが、中央の政治家の家に生まれました。

彼自身も役人としてのキャリアを積みつつ、政界の重要人物たちと交際を深め、エリート人脈というべきものを形成していきました。

つまり曹操は世に出て以降、後漢末の政治エリートの世界と密接に関わってきたわけです。

さらにはそのエリートの世界で、曹操が第一人者の地位を決定的にする出来事がありました。

それは先にもご説明したように、後漢の皇帝を保護したことです。
後漢王朝がおとろえたとはいえ、皇帝の権威はいまだに絶大なものがありました。

曹操は皇帝の保護者となることで絶対的な「正義」を獲得したため、多くの政治エリートの支持を得ることもできたのです。

一方の劉備はというと、曹操とはあまりにも対照的な人生を歩んできました。
彼は都からは遠く離れた地方の出身であり、後漢のエリート層とのつながりには恵まれませんでした。

荒くれ男たちを集めて旗揚げし、戦いながら各地を転々とし続けた劉備は、まさに肉体労働者の親方のようなものだったといえるでしょう。

まさに彼は、曹操らエリート層とは真逆の人生を、地をはうようにして生きてきたわけです。

中央で育った曹操と、地方出身者の劉備。
政治家の家柄だった曹操と、政治とはまるで無縁に育った劉備。

エリート層の中心人物になった曹操と、エリートとは無縁だった劉備。

こうも対照的なふたりを見ていくと、劉備が曹操の力量を認めつつも反発した理由が分かるように思います。

劉備と曹操は、その歩んできた道のりも、人間としてのタイプも、あまりにちがいすぎたのです。
住む世界が違い、価値観が違い、人間のタイプも違う……。

ここまで自分と遠い曹操に、劉備が共感できなかったのも、理解できます。

ただでさえ大志を抱き、独立心旺盛な劉備が、共感すらできない曹操の手下となるはずがなかったのです。

曹操暗殺計画の誘い、どうする劉備?

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曹操という男は、最初から群雄の第一人者だったわけではありません。
先にも述べたように、彼は皇帝の保護者となることで乱世のトップランナーに躍り出ました。

曹操の名声と権力は急激に高まり、後漢の王朝は事実上の「曹操政権」となったのです。
とはいえ、急激な変化には反発が生まれるのも世の常です。

いきなり朝廷の最高権力者となった曹操に対し、反感を持つ人たちも多く生まれました。
そうして彼らの一部が「曹操暗殺」の計画を練りはじめるまでになったのです。

そして……「反曹操」の一派が白羽の矢を立てたのが、他ならぬ劉備その人だったのです。

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