危険を承知で呂布を受け入れたが……
前回は劉備と呂布について、以下の点についてお話ししてきました。
・呂布は天下無双というべき強い武将だが、主人をことごとく裏切ってきたこと
・その呂布が戦に敗れて行き場をなくし、劉備に受け入れてくれるよう頼んできたこと
・タロットの暗示では、劉備にとっての呂布が「太陽」の正位置となったこと
引き続き、ふたりの関係について詳しく見ていきたいと思います。
行き場をなくした呂布に頼られた劉備は、結局、彼を受け入れる決断をしました。
これは劉備にとって大変な決断といえます。
たしかに呂布が味方に付けば、劉備軍団の戦力は大幅にアップするでしょう。
しかしいくら強いとはいえ、呂布はいつ裏切るか分からないのです。
そんな武将を身内に抱え込むのは、大きなリスクを背負うことにもなります。
とはいえ、劉備とてバカではありません。
これまで呂布が裏切りを繰り返してきたことは周知の事実ですから、劉備側も裏切りを未然に防ぐため、対策を講じていたはずですよね。
結果はどうだったのでしょうか?
呂布を受け入れた劉備は……やっぱり裏切られてしまったのです(涙)
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やっぱり領土を奪われた劉備
事の顛末はこうです。
劉備が戦争に出陣し、本拠地の徐州を留守にしました。
そこに味方の裏切りもあって、せっかく手に入れた徐州を、呂布に丸ごと奪われてしまったのです。
「群雄が戦争に出て留守にした時をねらい、領土を乗っ取る」
これは曹操にも仕掛けた、呂布お得意の戦法であります。過去に同様の「乗っ取りパターン」があるのですから、本拠地を留守にする以上、やはりもっと用心はすべきだったということですね……。
せっかく手に入れた本拠地・徐州を呂布に奪われてしまい、今度は劉備が行き場を失ってしまいました。
この絶体絶命の危機にあって、劉備はどうしたのでしょうか?
関羽・張飛らの猛将たちとともに、呂布に勝負を挑んだのでしょうか?
いやいや、そんなことをしては劉備の側が滅ぼされてしまいます。
呂布は戦に関しては圧倒的な強さを誇るうえ、本拠地を奪われた劉備は兵隊を養うための食料すら補充できないのです。
結局、呂布に対抗する方法がないと悟った劉備は、呂布と講和を結びます。
助けてやった挙句に領土を奪われた劉備が、和を請うのはおかしな話ではあります。
しかし乱世は弱肉強食であり、本拠地を失った劉備には他に選択肢がなかったのです。
さらには、この講和も一時的なものにすぎませんでした。
劉備は講和の後、さらに呂布の攻撃を受け、とうとう流浪の人生に追い込まれてしまったのです。
呂布に裏切られて知名度が上がった
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それでは、ここで前回のタロット占いの話に戻ります。
劉備にとっての呂布の存在をタロットに尋ねたところ、導かれたのはなんと「太陽」の正位置でした。
成功、誕生、祝福、エネルギーなどの象徴です。
これは多少でもタロットを学んだ方ならお分かりでしょうが、カードの暗示としては最もポジティヴなもののひとつといえます。
なぜ劉備にとって仇敵であるはずの呂布の存在が、このような暗示を導くのでしょうか?
それを読み解くには、呂布の裏切りが劉備にもたらしたものを、長い目で考えてみる必要があります。
呂布に裏切られたことで、逆に劉備が得たものとはなんでしょうか?
まず第一に、劉備の知名度が格段に上がったことは間違いないでしょう。
なんだかんだで呂布は「最強の武将」として広く知られており、後漢末の乱世における中心人物のひとりでした。
その呂布と―――たとえ悪い意味でも―――カラミが生じることで、中国全土に劉備の名前が知れわたったことは確かだと言えます。
「劉玄徳(りゅうげんとく/注)という男は、呂布にだまされて領土を獲られたのか。可愛そうなヤツじゃのぅ」
きっと当時の中国では、各地の有力者から農民までが、この話題で持ちきりになったことでしょう。
呂布は後漢末におけるビッグネームであり、彼とからむことで、劉備の名も広く知られることになったのです。
呂布とのカラミによって得た「知名度」は、劉備の飛躍の助けになったことでしょう。
(注)劉備の字(あざな)……中国人は姓と名の他に、通称として用いる「字」(あざな)というものを持っていた。劉備の場合、姓が劉、名が備、字が玄徳(げんとく)である。
君子イメージの確立
呂布の裏切りで劉備が得たものはまだあります。
それは一連の出来事によって、劉備の「君子」としてのイメージが確立したことです。
(君子とは、徳が高い人格者のことです)
そもそも事の起こりからして、劉備の人の良さがだれの目にも分かります。
劉備にとって呂布は赤の他人であり、別に助けてやる義理などありませんでした。
それでも世の中に行き場を無くした呂布を放っておけず、リスクを承知の上で受け入れてやったのです。
その結果として、劉備は呂布に裏切られて領土を失ったのですから、武将としては非常にマヌケだったのは事実でしょう。
しかし、困っている者を助ける人格者は、多くの人々の共感を集めます。
劉備は武将としてのマヌケな姿を知られるのと同時に、君子としての立派な人徳をも示したことになります。
現代まで伝わる彼の君子としてのイメージは、この時から形成されたと言ってもいいでしょう。
呂布の裏切りを受けることで、劉備は領土を失ってしまいました。
しかしそのことが彼の知名度をアップさせ、君子としてのイメージをも確立しました。
これらは劉備の評判を大いに高め、群雄としてのステップアップにつながったのです。
劉備にとって呂布との出会いは災難でしたが、それを耐え抜くことで、英雄への道が開けてきました。
そのことを、太陽の正位置は暗示しているのだと思います。
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