【タロットカード】明智光秀をタロットで読み解く 5

信長もまた、光秀を評価していた

光秀の心が信長への忠誠心であふれていたことは、前回で詳しくお話してきました。
それはタロット占いからも、現実に残っている記録からも、たしかに読み取れるものです。

では、一方の信長の方は、光秀をどう思っていたのでしょうか?
それを読み解く格好の資料として、信長の手紙が残っています。

文面には、光秀のことを絶賛する以下のような言葉が並んでいました。

「丹波国における明智光秀の働きは目覚しく、天下に面目をほどこした」

人材評価に厳しい信長も、光秀の仕事ぶりについては「目覚しい働き」と賞しています。
面目をほどこすというのは、「名誉を保つ」「評価を高める」といった意味です。

つまり光秀の丹波平定は、織田家の中だけでなく、日本中の人々を驚かせる快挙だったとして、信長自ら絶賛しているのです。

ちなみにこの手紙というのは、信長が仕事のできない部下を叱りつけているものです。

信長はこの武将の仕事に対する意識の低さや、創意工夫の乏しさ、人使いが下手な点などを厳しく非難しています。

「光秀と比べて、お前の仕事ぶりはなんだ!」と、光秀を引き合いに出してこの武将を叱り飛ばしているのです。

逆に言えば、信長は光秀について、仕事に対する意識の高さ、創意工夫がある点、人使いが巧みなところなどを、高く評価しているとも読めるでしょう。

出典(TOP画像):Illust AC

出典(2枚目の画像):ashinari.com

信長にとって、光秀は使い勝手が良かった

先の回で、信長の下で働く光秀についてタロットを切ったところ、太陽の正位置や、吊られた男の正位置が導かれました。

そこから光秀の仕事への意識、信長への想いを読み解くと、以下のようになるでしょう。

「どんなに困難な仕事にも、武将としての生きがいを感じて取り組めた」
「信長に奉仕するため、いかなる困難にも耐えて努力した」

信長から見た光秀という家臣は、有能なだけでなく、その人間性も信頼できる存在でした。

どれだけ仕事を任せてもエネルギッシュに使命を果たし、困難に耐えて大事業を完成させてくれるのです。

つまり信長にとって、光秀は「最も信頼できる重臣」であり、ある意味で「使い勝手の良い武将」だったのでしょう。

だからこそ、丹波平定という大仕事を任せつつ、たびたび別の地域への出兵も命じたのです。
そして光秀もまた、信長の期待にこたえるだけの能力と、奉仕の精神を持ち合わせていました。

少なくとも途中までは、ふたりは理想の主従関係にあったのだと思います。

光秀とその家臣―――恋人・逆位置

本能寺の変に向かう前に、もう少し光秀という人物の深淵に迫ってみましょう。
意外に思われるかもしれませんが、光秀は家臣を大切にした武将としても知られています。

彼のように大きな軍勢を動かす人物にとっては、部隊の指揮を任せられる優秀な家臣の存在が不可欠といえます。

主君・信長や、ライバルの羽柴(豊臣)秀吉もそうであったように、優秀な家臣を集め、上手く使いこなしてこそ、はじめて戦国の英雄になれたのでしょう。

そんな光秀とその家臣について、タロットに尋ねてみましょう。
カードを切ったところ……「恋人」の逆位置が現れました。

「誘惑」「空虚」あるいは「不道徳」を象徴しています。

筆者の知る限り、光秀は家臣と強い信頼関係で結ばれていたといいます。
よって、こうした暗示が出ることに、ちょっと首をかしげてしまったのですが……

少し考えて、恋人の逆位置が何を象徴しているのか理解できました。
これはズバリ、光秀と家臣たちが引き起こした、本能寺の変を暗示しているのでしょう。

信長家臣としての未来に、何らかの大きな不安を抱えた光秀は……

家臣とともに反逆への「誘惑」にかられ、主君を討つという「不道徳」をおかし、「空虚」な三日天下を手に入れた……

こう読み解くべきではないかと思います。

家臣をとても大切にした光秀

出典:ashinari.com

いくら戦国乱世とはいえ、本能寺の変のような謀反(むほん)は決して評価されることではありませんでした。

光秀は主君・信長を討ったことで「謀反人」の烙印を押され、後世にも汚名を残してしまったのは否めないところです。

とはいえ、天下人の信長を討つという大それたことを成し遂げるには、家臣との強固な信頼関係がなくてはなりません。

もし、家臣とのキズナが弱ければ、計画した段階で秘密が漏れてしまいます。
また、家臣とのチームワークが取れていないことには、スムーズに軍勢を動かすこともできません。

本能寺の変の是非はともかく、光秀が家臣をしっかり掌握し、使いこなしていたことは間違いないでしょう。

光秀が家臣を大切にしていたことを示す、あるエピソードが伝わっています。
戦で討ち死にした家臣たちのため、寺に米を贈り、供養してくれるよう頼んだというのです。

この寺にはその際に送られた手紙が残されており、光秀の真心をいまに伝えています。
戦国時代は身分の差が厳格な時代であり、このように家臣をいたわるケースは珍しかったといいます。

光秀が戦国の世で雄飛した背景には、家臣を愛し、その心をつかんでいたことがあるのでしょう。

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