【タロットカード】明智光秀をタロットで読み解く 1

今回は、タロットで歴史上の偉人を読み解くという、新しい試みに挑戦したいと思います。

第1回目の今回は、「本能寺の変」で有名な「明智光秀」を取り上げます。

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明智光秀ってどんな人?

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光秀はあまりにも有名な武将であり、いまさら解説の必要もないかと思われますが、念のため彼の生涯について簡単に触れておきましょう。

明智光秀は戦国時代の武将で、1528年(諸説あり)に美濃(今の岐阜県の南部)で生まれました。美濃の内乱で領地を失った後は、越前(福井県)の戦国大名・朝倉氏に仕えます。

この時期、室町幕府の将軍候補・足利義昭が、将軍就任のため朝倉氏に助けを求めてきたことで、光秀の運命も大きく動きました。

光秀は義昭に対し「朝倉氏よりも、尾張の織田信長を頼るべし」と進言。
信長と義昭を結びつけ、義昭の将軍就任を実現させるという、大きな仕事をやってのけたのです。

この縁から、光秀は信長に仕えることとなり、信長の武将として各地を転戦して功績を重ねました。
さらには京都の北西部にあたる丹波国の制圧を命じられ、1579年に見事これを達成。

丹波を領地として与えられたのです。

当時の日本の中心は京都であり、京に隣接する丹波の攻略・支配は、信長の天下奪りに不可欠な一大プロジェクトでした。

この大事業を信長に託され、見事に新任にこたえた光秀。またしても、日本の歴史に残る大仕事をやってのけたのです。

天下人・信長の重臣として、理想的な出世街道を歩んできた光秀ですが、突如、日本中を仰天させる大事件を起こします。

あの有名な「本能寺の変」(1582年)です。
この電撃クーデターで、光秀は主君・信長を討ち、再び戦国時代を混乱におとしいれてしまったのです。

いったい、何が光秀にこうさせたのか、その動機については現代まで論争が続いています。

その後、光秀は信長に代わって覇者の座を目指しますが、急遽駆けつけた羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)との戦いに敗れます。そして最後は逃走中に命を落としてしまったのです。

あまりに波乱万丈で、あまりに謎めいている明智光秀の生涯。

彼の人生におけるいくつかのターニングポイントについて、タロットを通して読み解いていきたいと思います。

不遇だった若き日々―――星・逆位置

明智光秀は、美濃の豪族・土岐(とき)氏の一族である明智氏に生まれました。

土岐氏は室町時代、美濃の守護大名として勢力を誇っていたので、戦国武将としてはまずまずの家柄だったと考えられます。

ところがこの光秀、どうも生まれた時代が悪かったようで、美濃では出世コースに乗ることができませんでした。

美濃の内乱に巻き込まれたために、明智氏は領地を失い、光秀も流浪の旅に出なくてはならなくなりました。

戦国時代にはよくあることなのですが、才能に恵まれていたはずの光秀の人生は、たったひとつの戦で狂ってしまったのです。

こうして美濃を追われた光秀は、越前(福井県)の戦国大名・朝倉氏に仕えたと言われています。
約10年の間、朝倉家臣として過ごしたと思われますが、ここでも大きな出世はできませんでした。

光秀のここまでも見て、ちょっと不思議だと思わないでしょうか。
織田信長に仕えて以降の働きからも分かりますが、彼は武将として抜群の才能に恵まれた人です。

加えて、戦国の世でのし上がろうとする野心も持っていました。
にもかかわらず、彼の若い頃はなかなか出世への足がかりをつかめずにいたようなのです。

そんな光秀の若き日々について、タロットに尋ねてみたところ……
「星」の逆位置が導かれました。

「失望」「壁」あるいは「高望み」「挫折」といった内容の暗示です。

まず、「壁」という暗示が、当時の光秀を読み解くカギになるでしょう。

若い頃の光秀は、戦国の世で大きな仕事をしようにも、前途に大きな壁が立ちはだかっていたようなのです。

その壁のひとつが、仕官先である朝倉氏の体質でしょう。

これは他の大名家の多くもそうなのですが、現地出身の武将や、先祖代々仕えてきた家柄が重んじられるため、他国の出身者は冷遇される傾向があったのは否めません。

美濃出身の光秀がいかに有能であろうと、古い体質の朝倉氏で頭角を現すことは、なかなか難しかったのだと考えられます。

(もっとも、これは朝倉氏のみならず、ほとんどの大名家に共通することでした。信長のように、出自を問わず家臣を登用するやり方は、むしろ珍しかったのです)

光秀は「高望み」でつまづいた?

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そして、「高望み」という暗示もまた、若き光秀のつまづきを現しているように思います。

朝倉氏は最終的に織田信長に滅ぼされたものの、光秀が仕えた頃は有力大名として勢いを誇っていました。

越前は豊かな領土であるうえ、日本の中心・京都に近いというアドバンテージもあったからです(だからこそ、後に将軍候補の足利義昭が頼ってきたりもしたわけです)。

光秀もまた、朝倉氏という大名家のバリューに期待して、仕官したのだと思われます。

上昇志向の強かった光秀は、仕官先にも「高望み」をしてしまい、「ブランド志向」で朝倉氏を選んでしまったのでしょう。

しかしそのために、かえって不遇な時期を過ごすことを余儀なくされたわけです。

後に光秀は、朝倉氏よりもずっと格下の新興勢力である織田氏に仕え、戦国の世に雄飛します。

仕事先は「ブランド」だけで選ぶのではなく、その組織の体質を良く観て、活躍のチャンスがあるかを考える必要があるということでしょう。

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